加納夏雄は文政十一年に京都で生まれ、幼くして刀剣商加納治助の養子となり、十二歳で金工、奥村庄八のもとに入門し、十四歳の時に大月派の池田孝寿について金工技を学び、寿朗と銘し、後に夏雄と改めた。期を同じくして漢文の素読を谷森種松に、絵画を円山四条派の巨匠、中島来章に習った。また、明治に入ると新貨幣鋳造の原形製作を政府より託されこれにあたり、明治二十三年に東京美術学校の教授となり、同年初の帝室技芸員に選ばれた。
 本作は烏賊の甲と口を画題とした独創的な目貫で、甲は主に甲烏賊類が体内に持つ舟形の骨のことで、「烏賊の甲」や「烏賊の舟」などと呼ばれている。また、烏賊の口にあたる部分は烏や鳶に似た嘴状となっており、その形状から烏鳶と呼ばれている。
 金、銀の昼夜地に、金・銀・四分一の象嵌色絵を効果的に用いて烏賊の甲と烏鳶を精巧に彫上げられており、夏雄の技量の高さを伺うことができる優品である。