一宮長常は享保六年越前敦賀で生まれ、柏屋忠八と称し滅金師を経たのちに京に上り、後藤系の保井高長に師事した。初期は雪山と銘し後に長常と改名、含章子と号した。また、絵画を丸山応挙の師である石田幽汀に学んだ。長常は後藤流の高彫も上手であるが、平象嵌に片切彫で名を馳せ、遂には「東の宗a、西の長常」とまで謳われ、さらに鉄元堂長常、大月光興と共に「京都金工の三傑」と称えられた。五十歳で越前大掾を受領、天明六年に六十六歳で歿した。
 本作は若衆を題材とし、輪郭の力強く深い鏨から着物の模様に見られる細密な鏨使いまで多彩な片切彫で彩られた様はいかにも長常流である。加えて、描かれた文様が棟へと継続されている点も同工の見所であり、高い技術を存分に発揮した同工の優品である。