初代彦三は細川三斎公に仕え、同家の移封に伴って熊本に下向し、寛永十二年同地で没している。その門下からは志水甚五、西垣勘四郎を輩出し、林又七と共に肥後金工の四大流派を形成した。
 本作は初代彦三の晩年作と思われ、耳の赤銅覆輪は彦三独特の小田原覆輪ではないが、簡素な重厚さを以って一層の雅味を見せており、利休七哲の一人と言われた細川三斎公の指導を受けた高尚な美意識と個性がうかがえる。