河野春明は横谷系の柳川直春の門人で、はじめ春任と名乗り、文化年中に春明と改銘した。文政四、五年に法橋に任じられ、間もなく法眼の位に進んでいる。春明は後藤一乗と時代を同じくして活躍した江戸金工を代表する一人であるが、その活躍範囲は江戸に留まらず、文政頃には東北や北関東に遊歴して作品を遺した。また、晩年の嘉永、安政年間には越後地方を遊歴し、同地で歿している。
 本作は、富士山と時鳥が鋤出高彫と据紋象嵌で春明らしく江戸前に仕上げられている。表が素銅、裏が四分一でよい対照となり、更なる魅力を引き出している。